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「一年後...」

170313


-- いわき市平薄磯字南街 --

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コメント

>>さんままさん

お晩です★

何というか、早い話し気の利いたことが言えないのであります。
聴かれれば答えるけど言葉も思い浮かばないし、周りで何を言おうが結局は自己再生を待つのみです。
先に書いたように薄情な私としては、無理に悲しみの中に入り込むことはしません。

>肩を抱いて一緒に泣いて
こういっちゃ何ですが、かえって迷惑です w
放っておいて欲しいなぁ‥。

投稿: M.H | 2017/03/15 21:39

M.Hermitageさんリコメ>有難うございます

>暖かい言葉をかけることもなく、ただ遠くから見てるだけです。

私だけかな?って、思って居た事・同じ思い(考え)のM.Hermitageさんが居られて、少しホッとしています。
私もすずや食堂の友達にそうしたからです・・・
ただ、手紙を書いて「返事は要りません・今は御主人の為にたくさん泣いて上げて、涙が涸れた頃、お話しましょう・・」と送りました。葬儀で疲れている人にそれ以上気を遣わせたくないのがありました。
それと、私の中で・上手く励まして上げる言葉が出て来ないのもあります・・


肩を抱いて一緒に泣いて・とか、人それぞれの励まし方色々ありますが・・・
私は遠い事をいいことに・・遠くからそっと・でした。単なる不精者でもあります。

投稿: さんまま | 2017/03/15 15:03

>>さんままさん

お晩です★

被災された方々、残念ながら心が癒えることはないのかも知れません。
女将さんも色々な体験をしてらっしゃるのですね。
私は薄情なのか、無理に癒やすことはないと思います。
温かい言葉をかけることもなく、ただ遠くから見てるだけです。

11時頃柳津に着き、粟饅頭を買った後に駐車場にいました。
街中を散策してましたが、車内にいる時を見られたようです。

>髪の赤い熊さん
全くその通りですね w
髪が伸び色が落ちてきました。
寒いので床屋に行かなかったのですが、そろそろ切って来るかぁ~。

投稿: M.H | 2017/03/14 20:35

M.Hermitageさんこんにちは

津波からの復興・6年たちましたが、被災地の方々の心の傷が癒される日は・いつ来るのでしょうか?

こころ癒される日・訪問して頂いた友達のご主人の死からなかなか立ち上がれないそうです。
彼女の様子を教えて頂き、ありがとうございます
元気な様子に安心しました。

やっぱり、嬉しくて、今朝・友達に電話してM.Hermitageさんの事や・同窓会の話をしました。
駐車場で、開店待ちの車があり、(遠慮されて待って居るのだと思って居たそうです。)
営業中を出したら入って来られて、『広島県にお友達が居られますか?』と聞かれたそうです。

『髪の赤い熊さん」の様なお客様だったと言われて居ました。

同窓会は、ご主人が亡くなって・まだ気持ち的に出席する気持ちにならないので・お断りだしたそうです。
「17日はお店がお休みなので、待って居ますよ~」って、再会の約束して電話を切りました。
お手伝いの女性は、東京から娘さんが帰っていたそうです。

テーブルの配置換えは、「金のなる木」を、店内に入れた為だそうで、M.Hermitageさんの思ったことが当たっていましたよ(^_-)-☆

彼女も、水害・火災と、家を失い・御主人の亡くしましたが、頑張っております。
M.Hermitageさん又柳津方面に行かれたら、すずや食堂を御ひいきによろしくお願い致します
**すみません(^-^;都落ちの話は冗談ですよ***

投稿: さんまま | 2017/03/14 11:50

>>山本さん

お早う御座います☆

撮影したのは3.11の一年後の二月ですが、山本さんは一月に訪れてましたか
その頃は瓦礫がほぼ片付いた状態でしたね。
光跡の残る道路もかなりダメージを受け、暫くは通行できませんでした。
でも塩屋崎灯台近辺の海はまだ立ち入りが出来なかったかもです。
基礎だけを残した建物と過ぎ行くテールランプ、確かに寂しい光景でした。

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>>えんじぇるはーとさん

お早う御座います☆

一年後の光景は何事も無かったような様相でした。
観光地でありながら静まり返った場所に、姿は無くとも何かしらを訴えるような気配を感じます。
現在この景色を見ることは出来ませんが、大々的な工事でどう変わって行くのか見続けて行きたいです。
下手な写真ですが見る方の様々な意見・思いを聴くことができ、とても有り難いです。

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>>大阪のおっちゃんさん

お早う御座います☆

3.11より一年後に撮影しBlogにupしていたものです。
タイトルは一年後の光景などを考えたのですが、単に「一年後...」にしました。
それにより些か説明が欲しい内容になりました。
右側の住宅街は建物の基礎だけとなり、荒涼とした姿を今も思い出します。
その荒涼さに人の無力さも感じました。

投稿: M.H | 2017/03/14 08:20

こんばんは、2012年の正月に薄磯、豊間を初めて見た時は、知らぬ間に車を止めていて
後続車にクラクションを鳴らされて、初めて車を止めていた事に気付きました。
タイトルは震災の1年後と言う意味でしょうか。それともこの写真を撮った1年後に震災という事でしょうか?
左端の倒木の様なのは散乱した瓦礫にも見えます。テールランプの光跡もどこか寂しさを感じます。

投稿: 山本 | 2017/03/14 00:51

車の影がないのに、テールランプの光の筋だけが残っていると
まるでこの世とあの世が入り混じったような不思議な感覚に陥ります。

・・と、ここまで書いて そういえばSideBをまだ読んでいなかったことに気づき
読んでみてなるほど~
私が感じたことはM.Hermitageさんと同じだったんだなぁ、と、
「通じた」感がありました♪

投稿: えんじぇるはーと | 2017/03/13 14:06

こんにちは
津波の後、一年後くらいに撮られたお写真なんですね、
タイトルも「復興の灯」から「一年後...」へ、6年後の今、
「一年後...」、とタイトルつける、
地震も津波もなかった、素敵な、ある日の素晴らしいお写真です。
素敵な構図、絶妙の露出、緻密な計算が物語ってるのでしょう。

投稿: 大阪のおっちゃん | 2017/03/13 12:05

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